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Vol.767 宮崎の先覚者 “小村 寿太郎”

投稿者: | 2010年05月11日(火) 02:46:35

小村寿太郎は、皆さんも子どもの時に歴史で習いましたよね!今回は小村寿太郎が残した功績に加え、宮崎県での行動について紹介していきます。

安政2年(1855年)9月16日、日向国飫肥藩(現在の宮崎県日南市飫肥)の下級藩士・小村寛平と梅子の7人兄弟の2番目の長男として生まれました。

体が小さく病弱だった寿太郎ですが、わずか7才にして藩校・振徳堂に入学し、8年間無欠席で、教師の間でも将来を有望視される成績のいい少年でした。しかし、家が貧しいため学費を免除してもらうかわりに、門番や給仕の仕事をしなければなりませんでした。寿太郎は人一倍の努力をして勉強を続けました。

振徳堂で講師をしていた小倉処平(おぐらしょへい)は、寿太郎の才能を高く評価していました。これからは英語が大事と感じた小倉は藩費留学を藩主に進言し、振徳堂で教えた中から何人か選び、長崎で英語を学ぶよう勧めました。 これにより小村寿太郎は長崎へと旅立ち、英語の勉強を始めました。そしてその1年後、東京大学南校に入学しました。
寿太郎は留学運動を起こし、第1回文部省海外留学生にも選 ばれ、ハーバード大学にて法律の勉強もしています。それもすばらしい結果を残して卒業しています。

ここから先の話は皆さんも知っている話になるんではないでしょうか?なにぶん私歴史が苦手なものでして・・・。あんまり覚えてないんです(笑)

余談ですが、彼は背が小さく、身長はわずか143センチしかありませんでした。それでも彼は外人と対等に、修得した英語と、迅速な判断でポーツマス条約を調印し、日本を平和に導きました。
自分も、自分の弱点をものともしないような自信を実に付けるような努力をしようと思いました!

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